高野山心の相談員ネットワークのメンバー13名で石川県の能登半島地震の被災地を訪れました。
Aグループ7名は志水町志賀町(しかまち)で地区の区長及び民選委員の方々と共に傾聴を、Bグループ6名は七尾市(ななおし)で被災地NGO恊働センターさんと共に足湯とお茶会を、それぞれ分かれて行いました。
僕はAグループで志賀町へ入ります。
そこでは浄土真宗の正久寺を中心に、今立ち上がる足掛かりを探している地元の有志の方々が待っていて下さいました。
能登半島の真ん中辺りにある志賀町は先端部の珠洲市や輪島市の方などと比べると被害が少なく見えますが、また違った問題があるのです。
全壊の家もあれば全く被害のない家もあるなど被害度合いに差があるため、家に帰る者もあれば、仮設に入る者もあり、また出て行く者もあるという住民の分断を特に生んでいるというのです。
さらに仮設に入った人たちも隣同士になれるわけでなく、いったいどこにいるのかを把握していかないといけません。
僕たちは、分断された人々が今後どうしていきたいのかという気持ちを聞いていくための補助役として、必要としていただいたのです。
地区を立て直していくアンケート調査を行う前の下地に、今回の傾聴活動を位置付けました。
まさに今立ち上がろうとする第一歩となる集まりだったのです。
僕たちは地元の方と二人ペアになり、防災センター避難所や仮設住宅を訪問し、被災者の皆様の胸の内を聴かせていただきました。
質問していく民選委員さんに、皆それぞれに複雑な胸中、あきらめのような気持ち、まだ今は考えられない、考えたくないというような気持ちを表され、それを我々はそっとフォローしたつもりです。
もちろん今回だけで何かできたわけでもなく、今後も継続的な活動を行っていくつもりです。
またお世話する民選委員さんも被災者なのです。
僕はペアの方に自宅があった場所へ連れて行ってもらいました。
「ここでこうやっている時に地震がきて」と身振り手振りで教えて下さいます。
早くも更地にしてしまった彼女は、「小さくても同じ場所に家を建てるんです」と前を向いて話されました。
だからこそ、出て行くという気持ちを他者から聞いた時には小さくないショックを受けることでしょう。
小さな地区は、数軒でも出て行かれてしまうと、維持することさえ難しいのです。
皆さんの話を聴きながら、とても切なくなりました。
それでも地元の皆さんが、今回の活動を通じて、今後どうしていいかという何となく道が見えたような気がしたと言ってくださったことは嬉しかったです。
本堂が全壊して取り壊し、毎晩泣いているというお寺の奥さん。
家を建て直そうという気持ちもあったけどあきらめたというお父さん。
不満も不安も特にないはずなのに眠れないというお母さん。
お寺も神社もみんな潰れてるし神も仏もないというご夫婦。
そんな方々に対して僕たちはたいしてなにもできないですけれど、心はそばにいることだけは感じていていただけるよう出会いを深めていければと思います。
まずはしばらく経ったら、一緒に撮った写真を入れて手紙を書きますね。 (11期生 山地弘純)